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尾道市内を画一的な基準で決めてしまうのは致命的だ

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尾道【美】の基準/OnomichiBinoKijun


尾道【美】の基準/OnomichiBinoKijun

尾道「美」の基準


ヴィム・ベンダース(映画監督)のようにはいかないが、日頃から気になる風景を切り取ってみた。
尾道の歴史は千年、ちょっと掘れば鎌倉、室町時代が現れてくる。そんなわけで、ほんの少し前まで尾道に住む市民も行政も、悲しいことに明治、大正、昭和なんて歴史とは思っていなかった。明治時代の代表的建造物であった旧協和銀行、昭和の鉄骨リベット式の県営上屋1号棟、駅前の戦後バラック市場など多くの記憶をこの十数年の間に簡単に捨ててしまった。(…なんて愚痴はもうやめよう。)
それでも大切なことがある。「新しいこと」と「美しいこと」とは同義語ではなく、まったく相反した意味をもつ言葉でもある。新しくても見苦しいもの、古くても美しいものがあるということが、斜陽化する尾道といわれはじめた1980年代から、尾道では忘れられてきたように思っている。
歴史都市・尾道では、先人たちが築き上げてきた、云ってみれば「尾道美」(尾道の美の基準)というものがあると、吾輩は思うのだが、猫のたわ言だろうか。市民が守った歴史的景観運動から早30年あまり、未だに尾道の市役所には都市デザインという考え方すら根付いていない。

橋本別邸の防火塀


ベンチの後ろに佇む鉄筋コンクリートの塀。ボロボロに朽ちていくけれど、未だカクシャクとして半世紀以上の流れゆく時代の風景をジッと見つめている。(都市計画に沿った道路拡幅と庭園の一般解放のため、このコンクリート壁は2006年9月その姿を消した。)

山陽本線に寄り添った凹み

子どもの頃に夢中になった隠れんぼ、その絶好の場所といった感じの凹みだなぁ。気持ちばかりの世の喧騒(目の前の国道2号線と上には山陽本線)を遠ざける非難の場所か、予期せぬ雨を凌ぐのにちょっとだけでも役立つか。ちなみに凹みの奥には昔の石垣が見える。
長く尾道に住んではいるが、行き交う車の騒音を気にもせず、凹みの中で日向ぼっこよろしく、足を伸ばして気持ち良く寝入っている肝っ玉おばさんを初めて発見!! 赤信号で停車中の出来事、シャッターは一度だけということで大急ぎでの撮影は少々ピンボケだが、ご勘弁願いたい。(2019年2月)
半世紀も経てば、これはもう遺産といわれる資格がある筈。なに気なしに見る煉瓦と石積みのガードもいい味が出てるねぇ。それに比べて、右側の複線化で増築されたコンクリートのガードは味気ない。これは浄土寺道の入り口ガードで、潜るとすぐに尾道市立中央図書館がある。今から115年前の1891年に開通した山陽本線が単線であった時分のものだと思われる。(ちょっと気になる尾道シリーズの第1弾 2006年)
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